✍︎126 技術と、発想・感覚(センス)-フォロン展に寄せて-

こんばんは

HREdayamです。

 

タイトルにも書いた日頃から思っていること。

そして、先日の

『ジャン=ミシェル・フォロン展』

見に行って改めて思ったこと。

 

技術か、センスか、自分がより興味を持つのはどちらか。

 

 

本当にとても個人的にですが、

色々な作品やアーティストに関して、

 

①【技術】がものすごく優れているもの、

②【センス】がものすごく優れているもの。

③その両方

(※技術が長けているからセンスが弱いとかその逆とかという意味では決してありません。)

 

③は絶句なので一旦おいておきますが、

作品から①か②かどちらの印象を強く感じるか。

その中で僕は、②の圧倒的なセンス(の作品)に

否が応でも、とても感銘を受けます。

 

そして、

自分自身(や、自分の作品)もそうでありたいと強く思っています。

 

 

そしてここからが本題ですが、

【ジャン=ミシェル・フォロン】

はそんな作家の一人で、見ている間は、

ずっとそのセンス(発想と感覚)に平伏していました。

そして、とても、すごく感動しました。

 

 

例えば、

色を使わず白と黒の線だけ、

そして絵自体はとてもシンプルなのに

表現されている内容はとんでもない。

 

 

これは白黒ですがシンプルではありませんね。

しかしすごい迫力!

(そういえば白黒シンプルコーナーは撮影禁止でした。)

 

 

どこにでもある"矢印"を絵に組み込む発想。

 

 

発想。圧倒的な発想。

そして、ユーモアも溢れている。

 

フォロンの作品は、

画力そのものに圧倒的な技術を見せている訳ではないのですが、

その発想、センス、構図、色、何もかもが、

とても、余りにも、圧倒的に魅力的でした。

 

 

 

どこか幻想的でもありました。

そして、夢があって希望がある。


 

絵の描き方の部分ではなく、

 

魅せ方、伝え方。

そういったものを表現出来るようになりたい。

 

それは、きっとファッションでも同じ。

 

やはり惹かれるのは、その素材をどうやって活かせるのか。

合わせ方のセオリーに従うことや、

その商品の価値や価格側からの魅力ではなくて、

 

スタイリングのセンス。

そして、エッセンスとしてのユーモア。

 

アートもファッションもカルチャーも、

惹かれるものはきっと同じところで繋がっているのかも知れません。


さっき、エッセンスとしてのユーモア。

と言っておきながら、

今回は全くユーモアを含めませんでした。

 

しまった。

来週こそは。

 

HREdayam

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