✍︎37 描(えが)くこと、捉えること

 

こんばんは

HREdayamです。

 

 

梅雨入りしましたが、

お元気ですか。

 

今日は

 

洋服のアレンジや言葉も、

僕の手を離れた瞬間から、

自由に捉えて下さいという気持ちでいます。

 

 

 

最近は、畝(ウネ)りを描いていますが、これを僕は「生命力」をイメージして描いている事が多く、逞しく生きてゆく象徴みたいな感じで。

 

 

 

でも、捉え方によっては、闇と思う方もいるかも知れませんし、

また別のイメージを湧かれる方もいらっしゃると思います。

もちろん苦手な方もいらっしゃるでしょう。

 

 

が、それで良いと思っていますし、その方が良いと思っています。

 

それでいて模様自体を気に入って下されば、

もうそれ以上何もないですし、最高です。

 

 

何か別のものとしてイメージされたのを聞くと、

「!?」

そういう捉え方もあるんだって嬉しくなります。

 

 

 

例えば雨みたいな。

新しい傘や長靴を買った方は雨が嬉しいでしょうし、 

何処かへお出かけする方には、雨かー悔しい!って思うような。

 

 

 

でも、雨が降る事は嫌いでも、雨自体に嫌悪感はないのではないでしょうか。

 

 

あとは、

可愛らしい女性に穿いて貰おうと作ったスカートを僕が穿いてたり、Tシャツを頭に巻かれてしまったりしてしまうように。

 

それは、その洋服の魅力を、色々な可能性を楽しみたいと思う、受け取った側の意思。

 

 

 

自ら紡いだ物には、底なしに愛を込めておりますが、どうして欲しいとか、まるでありません。

 

無です。無味無臭。

 

 

 

好きに自由に、楽しく扱って下さるのが一番良い。

着ずに飾って下さっても、眺めて下さってもどんな形でも嬉しい。

素直に嬉しいです。

 

でも、こぼしたコーヒーを拭く用で購入して頂くとなると、ちょっと考えさせてください。

 

 

 

僕が想像する詩に近い感じ。

 

 

そうです、言葉もそうです。

 

ある言葉に関しての印象は人ぞれぞれ。

 

先ほどの話でいうと「雨」と聞いて捉えるイメージは人それぞれなように。

 

 

 

詩について書くとまた長くなってしまうので、

それはまた別の機会に。

 

 

 

そう考えると、

もっともっとやりたい事がたくさんあります。

まだスタート地点。

 

 

走り抜けていきましょう。

 

 

 

 

フリダヤム/オオハラ

 

ブログに戻る

コメントを残す