こんばんは
HREdayamです。
梅雨入りしましたが、
お元気ですか。
今日は
洋服のアレンジや言葉も、
僕の手を離れた瞬間から、
自由に捉えて下さいという気持ちでいます。
最近は、畝(ウネ)りを描いていますが、これを僕は「生命力」をイメージして描いている事が多く、逞しく生きてゆく象徴みたいな感じで。
でも、捉え方によっては、闇と思う方もいるかも知れませんし、
また別のイメージを湧かれる方もいらっしゃると思います。
もちろん苦手な方もいらっしゃるでしょう。
が、それで良いと思っていますし、その方が良いと思っています。
それでいて模様自体を気に入って下されば、
もうそれ以上何もないですし、最高です。
何か別のものとしてイメージされたのを聞くと、
「!?」
そういう捉え方もあるんだって嬉しくなります。
例えば雨みたいな。
新しい傘や長靴を買った方は雨が嬉しいでしょうし、
何処かへお出かけする方には、雨かー悔しい!って思うような。
でも、雨が降る事は嫌いでも、雨自体に嫌悪感はないのではないでしょうか。
あとは、
可愛らしい女性に穿いて貰おうと作ったスカートを僕が穿いてたり、Tシャツを頭に巻かれてしまったりしてしまうように。
それは、その洋服の魅力を、色々な可能性を楽しみたいと思う、受け取った側の意思。
自ら紡いだ物には、底なしに愛を込めておりますが、どうして欲しいとか、まるでありません。
無です。無味無臭。
好きに自由に、楽しく扱って下さるのが一番良い。
着ずに飾って下さっても、眺めて下さってもどんな形でも嬉しい。
素直に嬉しいです。
でも、こぼしたコーヒーを拭く用で購入して頂くとなると、ちょっと考えさせてください。
僕が想像する詩に近い感じ。
そうです、言葉もそうです。
ある言葉に関しての印象は人ぞれぞれ。
先ほどの話でいうと「雨」と聞いて捉えるイメージは人それぞれなように。
詩について書くとまた長くなってしまうので、
それはまた別の機会に。
そう考えると、
もっともっとやりたい事がたくさんあります。
まだスタート地点。
走り抜けていきましょう。
フリダヤム/オオハラ