✍️180 不安定な感性

こんばんは

HREdayamです。

 

今にも春になりそうで、

アレもしたいしコレも作りたい...
でもそんな不安定な感性の放出について書いてみます。

 

描きたい絵や、作りたい洋服のアイデアがよく浮かぶ日と、
この脳みそがまるで使い物にならない日があります。

どれだけ頭を振っても叩いても、何も浮かばない。
どうやら感性そのものは蓄えられません。

しかもきちんとメモっていなかったりすると、全く何も分かりません。メモり方も単語だけだとむしろ逆効果にすらなります!悲劇!(自ら作った難易度高すぎる謎解き)

 

 

昨日の自分がどれだけ優秀であっても、
今日の自分には一切の保証がなく、
今日の自分が余りにも凡庸である場合だってあります。

実に、本当にこの思考というのは
不親切なシステムとなっています。
あまりにも。

 

深夜に確かに幽霊を見たと思っていたのに、
朝起きたらその確証が揺らいでしまって夢だったのかと思ってしまうような。

感性というのは、とても気分屋なんです。


 

それでも不思議なことに、
出てくる日は本当に止まりません。

少し考えれば一つ出てきて、
その一つが次を連れてきて、
気がつけば頭の上にいくつも浮かびまくっている。


この状態だけを続けられたら、
どれほど楽で楽しいかと思います。


しかし、そうはいきません。
当たり前ですが。

もしかしたら、同時に脳への負担もとんでもないことになるかも知れません(ならないかも知れません)。

 

でもとにかくそれらを経て、何も浮かばない日がやってきます。

昨日まで(或いは数分前まで)
あんなにも軽やかに浮かんでいたアイデアたちは、


翌日(数分後)になると、
まるで最初から存在していなかったかのように消えてしまいます。

 

それほどに、感性が出てこない日は、何も出てきません。

 

むしろ考えれば考えるほど遠ざかり、
掴もうとすればするほど逃げていきます。
掴めそうなモノの色すら、その数秒後には忘れてしまうような。

 

感性が性質や感情を持っていて、
まるでこちらの焦りを楽しんでいるかのようでもあります。

 

でも、そこで便利なのが、
いわゆる“それっぽい答え”です。

すごく街に溢れてきました。
街の隅々に溢れかえっております。
左右を見ても上も下にも。

 

もちろんですが、
”アレ”の普及によるものが多いと思います。

アレにより世の中には、
綺麗に整えられた正解のようなものが、
とてもたくさん転がっております。

 

少し見渡すだけで、


それらしく見えるものを、
それらしく並べて、
それらしい説明を付けて、
それを「作品」と呼び、
それを販売するのは、
そこまで難しくありません。


けれど、
それを自分(HREdayam)のものとして、
世の中に差し出すことは絶対にしたくありません。
絶対に絶対的に。

(ここの画像はアレによるものです<矛盾>
ただ、本心からあれらを販売意思などはまるでなく、
ただのユーモアとして使用しているだけです。)

 

 

 

アレによる創作物を作品化しない理由は単純明快で、

生み出したのが自分じゃないからです。

自分は指示を出しただけで、
生み出したのはアレの脳です。

一度でもそれをやってしまうと、
血を流しながら制作する意味なんてなくなってしまう。

 

それに、
少し乱暴な表現になってしまいますが、
アレから生まれたモノは確かに正しいのですが、


まるで生きていない。

呼吸もしていなければ、鼓動もない。
ただ綺麗に整っている分だけ、
余計にFAKEのように感じてしまいます。

 


それならば、
何も出てこない日の方が
だいぶましです

何もないという事実は、
少なくとも本物であり、
温度があります。

そこには、
ちゃんと自分がいます。

不在というかたちで、
きちんと存在しているのです。


ずいぶんと回りくどい話になってまいりましたが、
結局のところ、
感性とはそういうものなのでしょう。


安定しない。
役に立たない日もある。
裏切ることもある。


それでも、
たまにこちらの想像を軽く超えてくる。

だから感覚というものは厄介で、
だからこそ手放せない。

本当に困ったものと仲良くなっちまいました。

これからもどうかHREdayamから
湧き出た感性にお付き合い下さいませ。

 

 

HREdayam

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