✍︎114 服を愛するということ

こんばんは

HREdayamです。

 

この世の中の人々は、

「服を愛するもの」と、

「そうでないもの」の、

どちらかだと思っています。

 

見事に、

この二種類に分けられます。

 

 

 

どちらが良いとか優れているとかではありません。

 

服を買わないから不幸だとか、

服を買うことは散財だとか、

そういうことではありません。 

 

服を愛するものたちの、

色んな服を着たい!

もっとたくさん着たい!

という思考。

 

その一方で、

服への関心が強くないものたちの、

贅沢品である服を買うなんて勿体ない!とか、

服を買うお金があれば〇〇に使いたい!

 という思考。 

 

 

極端かとは思いますが、

人々はこの両極に分かれるのです。

これは紛れもない事実です。 

 

そして、更に言いますと、

この両者で言い争っても意味はなく、

(正解などなく、余りにも不毛な言い争いとなってしまうのです)

そもそもの論点が異なるのではないだろうか。

と推測しています。

 

 

 

服が必要であることの反対は、

服が不必要であることではなく、

 

比較するのであれば、

それぞれの人の中で必要なもの。

ではないでしょうか。

 

例えば、

旅行などの趣味であったり、

美味しいものをたべることであったり...

それらとの比較に服があると思っております。 

 

 

 

ですので、

服にお金をかける人も、

旅行などにお金をかける人も

 

双方を否定することも、

自分を卑下する必要もないのです。

 

それで良い。

 

いや、ちょっと待ってください。

誰も卑下などしていませんね。

失礼しました。

 

とにかく、

自信満々でいきましょう!

 

 

そしてまた、

服が好きな方は、

服のことを「贅沢品」だとは

思っていないことの方が多いと思います。

 

日常生活に不要なものだとか、

必要最低限の布で身を隠せさえすれば良いとかでもなく、


出来る限りオシャレをする事が、生活する上でとても必要な要素。


であると考えている方が多いのではなかろうか。

と推測します。

 

 

 

 

それは、

 

決して比喩などではなくて、

 

”食事をするよう”に、”呼吸をするよう”に、

”きちんと衣服を着ること”(スタイリングすること)は、

それらと同等であると見做して間違いありません。

 


ですので、

堂々と臆することなく胸を張って、

服を愛していることを、心から楽しみ、

生きたいのです!

  

 

HREdayam,LOVE

 

 

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