こんばんは
HREdayamです。
先日のブログにも書いたように、
(#106 スタイリング至上主義)
僕は洋服をスタイリングするということに、(その洋服の)魅力を最も感じるので、
どちらかというと、洋服そのものよりも、
その着方に魅了されるという性質があります。
例えば、
古着のコレクターであれば、
古いものや珍しいアイテムを所持していることや
着用すること自体に高揚するのでしょうし、
とても安い価格で買えたという、
それを見つけたこと自体や購入できたことに
喜びを感じる方もいらっしゃいます。
それらを否定しませんし、
そこに惹かれる気持ちがあるのもわかります。
しかし、問題はどちらも、
見た目ではその洋服の魅力の部分
が発揮出来ないのです。
SNSなどで記載することや、口でそれを伝えることも出来ます。
でも、それでも限界があります。
人とすれ違う度に、購入金額やレア度を伝える訳にはいきません。
もしくはそれを静まり返ったエレベーターの中で言い出すなんてとんでもない!
つまり、
その洋服一着そのものの魅力を自分を含む第三者に伝えるには、
やはりスタイリングをして着用する他にないと思います。
その洋服の良さを、魅力を、
価格だとか人気だとか流行だとかレアものだとか、
安く購入したものを高く魅せる行為そのものとか、
その部分自体ではない魅力を表現すること。
僕の中ではそれこそが重要で、
洋服をファッションを楽しむことを愛しています。
”言葉も文字も用いず”に、
ファッションで、スタイリングで自己表現すること。
SNS全盛で中心の現代とは異なり、
昔ながらの手法ですが、
それが今もとてもずっと好きです。
高くなくても、レアでなくても、
そもそもそれが洋服でなくて歯磨き粉だったり、
野草のようなものだったとしても。
或いは、目には見えない概念だったとしても。
ただ、それをうまく着てカッコよく魅せること。
それを愛して止みません。
でも、人それぞれファッションに惹かれている部分の
話を聞くのがとても好きなので、
そんな話をしたいと常々思っている次第です。
HREdayam,LOVE