✍️179 春に失くすこと

こんばんは


HREdayamです。



毎年春が来るたびに何かが始まる気がするのですが、

その実、

何かが終わっていることの方が多い気がします。



昔から思っていたのですが、

"出会いと別れ"なんて

綺麗に並べられるものでもなくて、

相反する意味の言葉たち、、

その二つを並列にする必要もなかったり。


 

例えば

何かを失った(別れ)けど、

代わりの何かを得たから(出会い)良かったとか。

その2つ(2人)は全く別のものなので、

比較したり補い合ったりするものでもないだろう、と思っていました。


 

そしてまた、こうも思っていて、

ただ、少しずつ

持っていたものの形が変わっていくだけで、

意図的に手放したのか、

気付いたら離れていったのか、

それが幾つかあるということは認識しているけど

正直あまり区別はついていません。


経過よりも結果の部分


でもこう考えるとAIっぽくなっちゃいますね。

経過のない結果。



例えばお寿司や焼肉みたいに終わりを自分で決められるものと、牛丼やうどんみたいに(器によって)既に終わりを決められているものと。


食べるタイミングを自分で止めるか、

食べる前に大盛りにするかとか。


食べている(いた)時は意識していないけど、

後々考えたら、食べ過ぎてたとか食べ足りなかったとか思うだけで、そもそもの食べ方(食べる順序)

が違うことには気付かないみたいな。


 

良い例えっぽかったから、進めてみたけど

引くに引けなくなってどうしよう。


一旦例えるのを止めます。

ストップ。

話を戻します。


えっと、

でも、確かに感じるのは

僕は前と同じ場所には立っていないということ。



高所恐怖症なのもあるけれど

立っている足場が変わると、

同じ景色も少し違って見えるのです。


それが少しだけ怖いけど

なぜか同時に、少しだけ楽しみでもあります。


過去の延長のようで、

全く別のスタートでもあるような、

そんな曖昧な地点に立っています。


僕らの場所も例外ではなく

春の洗礼を受けるのです。

春ってそういう季節なのかも知れません。



決して前向きでもなく、

かと言って後ろ向きでもなく、


ただ、ここまで持ってきたものをそのまま抱えて、

次の場所に置いてみるだけで良いのかなと。

それくらい単純なことなんだろうと思いながら。



 

うまくいくかは分からないけど、

それでも、

ここまで続けてきたことは、

無駄ではなかったはずだから。



少しだけ形を変えて、

まだ続いていきます。

終わったものもあるけど、

ちゃんと残っているものもあるから、

それで充分だと思っています。



また、ここから進んでいきます。

少しだけ新しい形で。


 


HREdayamそ

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