✍︎35 オリジナルについて

こんばんは

HREdayamです。

 

 

 

全てのものにあるオリジナル。 

 

そして、そこから派生や模倣が生まれる。

 ファッションでも例外ではなく。というよりも、最たるものなのかも知れません。

 

 

 

 

 

ギャランティ(保証書)というのは、本物か偽物かの判断で、オリジナルか模倣かの判断ではないのです。

そのブランドの本物ではあるけれど、デザイン自体は模倣であるケースすらあります。

 

 洋服に関して、特にある程度のシルエットやデザインは、ずっと前に出し尽くされた(もしくは、尽くされていそうな)わけでして。

 

"新しいもの"を生み出すには、

そこに"デザイン的に"手を加えるしかない。

 

 

 

それは昔から、彼方昔から行われていて、

ストアブランドのアイテムが大手ブランドのアイテムを模していたように。

(でも、それが今では価値のあるものにもなっていたりします。)

 

リアルな時代を過ごしていたわけではないので、当時の時代背景から人々がどのような気持ちで着ていたのかはわかりません。でも、現在からの視点ですが、それらにはどこかしら愛情があって可愛いアレンジがあったりします。

それは許せる、価値がある、気がします。

 

 

しかしながら、もう、こうなってくると、

何がオリジナルで何がオリジナルではないか、線引きはとても難しいです。

 

そんな中で絶対的に言えるのは、

意図的に「金銭や名誉」の為に、盗作するのは悪です。鬼です悪魔です。

 

 

 

 

 

過去のデザイン、シルエットを現代でサンプリングして用いるのとか、

インプットしたもの幾つかの事柄をアウトプットした時に、無意識下のうちに、それこそ何かしらの影響を受けているとか、

そしてそれらは、決して悪ではない。

 

影響を受けることはあれど、それをどう組み合わせるか。

或いは、全く見たことのないデザイン(そしてデザインの先)を生み出せるか。そこが重要だと思います。

 

 そしてそれも、"一つのオリジナルである"、と思います。

 

 

 

 

洋服のスタイリングにしても、誰かの真似から始めるのは良い事だと思います。

 

でも、そこからスタイリングに、

オリジナルアレンジをどれだけ加えられるか、そこに楽しさと悦びがあって、

そこから色んな視野の広さに繋がり、

 

「あれも着てみよう、あんな着方もしてみよう。」

 

 に、更に繋がってゆく。

 

 

(意図的に奇を衒うのではなく、

個人的には、

誰もしていない"から"、こう着てみよう。よりも、

誰もしていない"けど"、こう着てみよう!

を愛しています。)

 

 

 

そんなファッションの文化(カルチャー)が、

少しだけ広がっている未来を楽しみに生きています。

この世界に残された、まだ見ぬデザインを見ることも楽しみに。

 

 

HREdayam

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