こんばんは
HREdayamです。
もう、気付けばすっかり秋です。
気付かなかったら冬でした。
ところで、
藝術(げいじゅつ)の秋と言いますが、
その由来は一体なんなのでしょうか。
(藝術←こっちの字と意味の方が好きなのですが、
読みやすい芸術で書いていきます。)
話を戻します。
「芸術の秋」を調べてみたところ、
「芸術の展覧会が秋に多く行われているから。」
という理由でした
あまり合点のいくものではありません。笑
昔は特にそうだったのかも知れませんが、
今はネットやスマホや想像力などにより、
年中、色んな芸術に触れることが出来ます。
365にち。
あ、想像力は人間の持つ古来からの特性でした。
近年の文明ではありませんでした。
失礼しました。
しかし、とにかく、
(確かに、秋に展覧会が多いのもあります)
芸術に触れるというのは
1つの楽しみとして、はるか昔から存在しています。
生きるということの一つの意味として、
色々な芸術家たちが、
(比喩でもなく命を削って)生み出した作品たち。
その造形そのものや、
強いメッセージ性があるものも、
作り手によって様々なものが作られてゆきます。
そもそも藝術とはジャンルの幅も広く、
書道や絵画や写真、造形物などの美術品から、
文学や音楽、演劇など多岐に渡るのですが、
特に美術品に対して、
それらを見るに当たって、
それぞれの楽しみ方を
人それぞれで行えば良いと思うのです。
感覚で捉えたり、
論理的に考えたり、
裏の意味を読み取ったり。
でも、僕の見解なのですが、
(本当に個人的な見解です)
芸術や芸術家、その作品の知識を
知らなかったとしても、
全く構わないと思いますし、
ある作品を見て、
喜びや楽しみとか
もしくは、悲しみや嘆きなど、
それを見ることで、
ただ、
感情が揺れるものがあれば、
それで良いと思います。
すごくすごく気になれば、
その絵や作者の背景を調べるとかでも良いのですが、
そこまでしなくても、
その作品だけが好き!っていうのも良いです。
その芸術家の作品全部好き!でも勿論良いですが。
例えばある種の詩を解釈するように、
この絵のこれはこういう意味なのかなとか
こういう理由でこの造形物が付いているのかなとか、
それぞれで考える。
ということ自体が答えであっても良いとすら思ってます。
なんとなくあの絵が好きとか、
あれを部屋のどこかに飾っておきたいとか
そういうふとした想い。
詳しくは知らなくても良いので、
たまたま貰ったチラシの絵(作品)が好きだったから展示を見に行くとか、
好きな友人やアーティストが好きな作家さんの作品を見に行くとか。
東山動物園に行くとか。
芸術がもっともっと日常のすぐ近くにあると
きっともっと生活が楽しくなる。
と感じています。
映画館に行くように、
公園に行くように、
名古屋港水族館へ行くように、
美術館や個展に行く機会が
もっと色んな人の身近にあるといいな
と思います。
僕はジャンルを問わず敬愛して止まない
芸術家が数名いるのですが、またいつか書こうかな。
HREdayam