✍️181 「似合う」「似合わない」

こんばんは

HREdayamです。

最近「似合う」という言葉について、
少しだけ考えてみます。


”何を基準に判断されるのか”


イエベとかブルべとか肌色診断もありますが、
それとは別に、


お店に立っているときや、
SNSを投稿しているとき、
「似合う」
という思いが頭をよぎります。

「とても似合っている!」
と口にしてしまうこともあります。

 

とても便利な言葉だと思います。
とても短くて、柔らかくて、
大体の場合、場の空気を壊さない。


場合によっては
少し迷っている人の背中を軽く押すこともできる。

 

ただ、その分だけ、
少し不思議な言葉でもある。

「似合う」というのは、
一体誰の言葉なんだろうと思うことがある。

”何を基準に判断されるだろうか”

 

鏡に映っているのは、
その人自身のはずなのに、
最後の判断を、
第三者の一言に預ける瞬間がある。

 

 

誰の言う「似合う」が正しくて、
誰の言う「似合わない」が正しいのか。

 

洋服屋の店員さんだから正しいのか、
信頼できる家族や恋人や友人だから正しいのか。

 

それとも自分の意見を信じるべきなのか。

 

似合ってるから着る、
似合っていないから着ない。


そんな単純な事ではない気がするんです。


そもそも「似合う」「似合わない」は、
コーディネートの有無ではない段階で判断されている
と思います。

 

そして、それは果たして、
本当に正解があるのだろうか。


例えば、
さっき注文したコーヒーは、
カフェラテじゃなくてブラックで良かったのか。
LサイズじゃなくてMサイズで良かったんじゃないか。
砂糖をいれた方が良かった気もする。

 

どれが正解だったか分からない事だってあります。

 

自分に対しても、誰かに対しても。

 

そういう意味で、この言葉は

きっと誰もが口にするときに、
完全に嘘でもなければ、
完全な本音でもない。
曖昧なまま、成立している言葉だと思います。

 

どれだけ似合っていたら着ていいのか。
その中間だってあるかも知れないですし、
決定的に「似合っていない」と言い切るほどでもなくて、
「似合う」と言い切るには、少しだけ引っかかる。
そういうときだってあります。

 

なので、
僕はお店来られたお客様に「似合う」と伝える時に、
いつも少しだけ迷いながら、その言葉を使っています。

完全ではないと分かっているけど、
それでも、悪くないと思いながら。

 

でも、
まだ少しだけ無理をしているように見えた服が、
ある瞬間を境に、
ちゃんとその人のものになっていることがあります。

あれはたぶん、
服が変わったわけじゃなくて、
その人の中で、
何かが決まったからなんだと思います。

 

僕がお客様に対してそう思った瞬間に、
「似合う」という言葉は、
その本人の中にじわじわと馴染んでいっているような気がします。

 

なので、
自分の「似合わない」を信じずに、
知らない誰かの「似合う」を妄信的に鵜呑みにせずに、


信頼出来る人の「似合う」を信じて、
それを自分に馴染ませていけるように
そうやって服を楽しんでいこうと思っております。

 

HREdayam

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