こんばんは
HREdayamです。
『センス』とは一体何なのか。
例えば、
ファッションの中でも、スタイリング(或いはコーディネート)とデザインは別のセンスで、うまく着れるからと言ってカッコ良いデザインの洋服を作れるとは限らないですし、逆もまた然りだと思います。同じファッションというカテゴリーの中でも。
それはきっと、
着ることは【自己表現】であり、
デザインすることは【(誰かのための)創造】であるからだとも思います。

着ること(着飾ること)と生み出すことは別物だと思っております。
別腹です。
そしてそもそも果たして、
それぞれのセンスというものは鍛えられるのかとも考えることがあります。
真剣に考えることがあります。とても真剣に。
椅子に深く座って、腕と足を組みながら。

でもきっとセンスというのは鍛えられると思っています。
筋トレや大食いように回数を重ね続けて、きちんと鍛錬していれば。
例えばスタイリングでしたら、
たくさんの洋服を着て、
たくさんの組み合わせをして、
それを心からとても楽しむ。
そうして養われるのかなと思っていますが同時に、
思っているほど素直ではないような気もします。
ただ着る(着続ける)だけでなく、
時に足したり、引いたり、加えたり、余分なものを削ったり。
そしてそこに現れる、
「癖」や「それっぽさ」、が個性でありセンスではないのかなと思います。
回数を重ねて繰り返すだけではなく、
そこに常に思考を挟み続けることが重要なのではないでしょうか。

※コレはただ着重ねただけの悪い例の男性
そして今は、
結果的にとてもショートカットする技があります。
「AI」です。エーアイ!
本心としてはショートカットなどではなく、
別のゴールへと辿り着く方法。
いや、どこにも辿り着いてすらいないかも知れない。
やがては思考を経たようなデザインが出来上がります。
それなりに、
整ったデザインで、
色も形もバランスすらも悪くなく、
むしろ、よく出来ている。
綺麗にまとまりすぎている分、
どこかで呼吸が止まっていて、
感情が何一つない。
(矛盾に感じるかも知れませんが)
このブログの挿絵としてのAIは冗談の一つと楽しんでください。
僕が問題視(或いは危惧)しているのは、
そのAIを使用したデザインを、
あたかも自身がデザインしたかのようにして、
商品化し販売していることがあるという事実であり、
そこに料金を発生させることです。
その光景を見ると、
少しだけ眩暈がしてしまいますし、
世の中でそれが行われていると知った時に
少しだけ落胆してしまいました。
それを作ったのが誰であろうと、
AIでデザインされた画像などを使った洋服を余り着たくはありません。
僕が愛しているのは、
例え完璧でなくても、
そこに混ざっているちょっとしたズレや間違い。
それこそが人の手で作ったものであり人間味であり、
愛であり、一番大事なもの(HRIDAYAM/フリダヤム)なのです。

やりすぎた色や、
縫い合わせズレや、
無駄な線、
はみ出した絵の具、
少しだけ失敗した配置。
でも、
その中にしか出てこないものがあります。
僕がやっていることややりたいことも
結局はソコなのです。
自然発生的に出来たダメージを未完成なデザインとして、
そこに手を加える。形を整える。
そしてまた完成しつくされた芸術的絵画を一度解体して、
バランスを崩しながら均衡を取る。
我ながらあまりにも効率が悪い。
でも、
その非効率の中にしか見つけられないものがあります。
たぶん、そうしてセンスは鍛えられるのではないでしょうか。
もしかしたら僕はその自分のズレを、
ちゃんと受け入れて愛することを求めて続けているのかも知れないですし、
その作品を誰かに愛して貰えたら、
それがこの上ない喜びに繋がっているのだと思います。
それには、思考の部分をAIに任せることは決してありません。
純度100%のHREdayamを愛して下されば光栄です。
HREdayam
...HREdayam様
コんな文章デヨカッタデショウカ