✍︎23 生み出すもの(≧AI)

こんばんは。

フリダヤムです。

 

 

先日、ある風が強い日のお昼すぎ、友人に、

AI(Artificial Intelligence)=人工知能の進化が、とてつもなく進化している話を聞きました。

分析や、情報からの予測、画像の解析、加工etc...やれることが増えていって、AIに助けられたり、救われたりすることがたくさん出来てきているのはすごいことな反面、それに伴いAIが出来る仕事も増えていってると。

 

 例えば、今流行している、写真を加工するアプリ。AIなら写真をリアルな絵にしたり、デフォルメさせたりが、いとも簡単にできてしまう。一瞬で。

その技術もですし、

それを生み出した技術者の方々も凄すぎます。

 

 

 

でも、僕は、

どうしてもAIが生み出したたものに感情がない気がしてしまいます。

 

 

 

個人的にですが、

僕は、

人間が出来る、

人間らしいこと。

その人にしかできないこと。

 

 

そんな思考や感情の部分に とても、とても、魅力を感じます!

 

いきなりですが、文章の中に接続詞が多い文章は良くないとされているので、僕が人間である事を証明する為に、「とても」を二回連続で使ってやりました。これはAIには出来ないと思います。

 

こんな稚拙な文章を書いてるのがAIだと誰も疑っていないので、話を戻します。

 

ところで、僕が考える、

思考と感情の魅力とは、

 

 

例えば、

デニムをリペアをする時に、

糸の色選びも直す範囲だとかも、綺麗に直すならここまでだけど、このくらいまで刺繍の範囲を広げて見た方がバランスが良いとか。あえて、この色の生地使っちゃおうとか。

 

それには思考が必要で、また受け取る人も、それを美しいとかカッコ良いとか思える感情が必要。

 

それこそが、その余力というか、気持ちの隙間というか、感情に刺さるモノって、人間が思考を凝らして生み出したものなんじゃないかなと思います。

 

古着が好きな理由の一つに、現在の方が技術は進化してるけど、昔方法で作られていて、時も経ち、ほつれたり汚れたりしてるけど、それをひっくるめてカッコ良い!みたいなことです。そこに刺さってしまう。

 

そして更に、本来はこんなところに刺繍はなかったとか、70年代の洋服に90年代のキャラクターのデザインを描くとか、逆に、そのキャラクターが生まれた年を経て、この年代の洋服だったら、こうなってるとか。こう歳を取ってるとか。

 

 

 

ほら、楽しそうじゃないですか?人間。

 

 

絵にしてもAIなら、きっちり正確に描けるのでしょうが、手描きした事で、少し歪んでたり線からはみ出してるってのが大好きで。絵具の色が混ざっちゃうとか。

刺繍もそうです。

 

販売員もAIがあれば、いなくても良くなるとか言われていますが、

例えば、AIが選んだ、それほど似合っていない洋服(AIなので、そんなことはないでしょうが)を指摘出来るのは人間の販売員であり、トレンドだけで組むスタイリングに遊びを提案出来るのもヒューマン販売員かなーって思います。

色も丈のバランスも完璧に整ってるスタイリングを導き出してくれたとしても、もうちょいインナー長い方が好みとか、誰も思いつかない差し色を取り入れるとか。

 

料理でも音楽でも、なんでもそうです!レシピより、ちょっとお酢を多めに入れた方がハーモニーが出るとか、ここにこの音を入れない方がまとまるけど、ロジック関係なく、それを加えたほうが聴いた時に味があるとか。

写真もそう。

 

 

 

 

まだまだ人間が人間らしく楽しむことが∞にある時代。

素晴らしい!

そして、ここで無限大の部分だけ文字じゃなくする事が、果たしてAIに出来るでしょうか。(すぐ出来そう) 

 

つまり、大切なのは心です。

思考も感情も。感動も。

心のことを、サンスクリット語でフリダヤムと言います。

いい言葉ですよね。フリダヤム。 

 

 

 

 

なんか綺麗にまとまったので終わろうと思いましたが、僕は決してAIを否定している訳では決してありません。ほんとうに。(「2001年宇宙の旅」で恐怖を植え付けられたのはあります。)

 

ただ人間だけが、生身で生み出せるものを、

もっと、とても楽しみたい!ってことです。

そして、誤字脱字とかがあっても許してね!ってことです。

 

それでは。

 

 HREdayam,Love

 

 

 

ブログに戻る

2件のコメント

そこに 愛はあるのか・・・さん
コメントありがとうございます。

そうですね!
私たちが人と人である以上、
心と心、感情と感情を繋げなければならない。

洋服であり、そこに加えたモノだったり。

つまり、それらは配管のようなもので、
僕が行うことは、ある種の配管工事であると思っています。

完全に決められた筋道を通って作られた配管ではなく、
少し歪めた方が、精度が上がる事があるように。

例え1時間に1本の便の悪い電車だとしても、
誰かの為にはとても役に立っているものであるように。

そんなものたちを、
変わることなく愛しています。

HREdayam/オオハラ

世の中の事
あまり興味無く

生活してる自分ですら
AIは 確かに 身近にアル感じ

文字どうり

愛が無いから
AI と名前が付いたと

髪の長い兄ちゃんが言ってました。

便利な世の中
でも  

この先も

心からの感情

それを
心で受け止める
その感動は

お互いに心と心

face to face

そこの部分は
絶対 この先も
変わらないと

自分も 一つ屋根の下で
思っています・・・

そこに 愛はあるのか・・・

コメントを残す