こんばんは
今夜もオオハラです。
先週の続き、
詩について書いてみます。
僕は詩から学んで、ファッションや好きなものを追求しようとした部分もあります。
昔を振り返りながら、簡潔に書いていきます。
お付き合い下さい。
小学生の頃に教科書で宮沢賢治の「やまなし」を読んで、不思議な気持ちになりました。当時。
やまなしは詩ではなく童話の扱いだと思います。
突如、
クラムボンがかぷかぷ笑っていて、
意味も分からないのに、何か情景が浮かぶような。不思議な気持ちになりました。クラムボンは諸説ありましたが。
そこから、銀河鉄道の夜とか読んで、その叙情的な空間に没頭していました。これも詩ではないですけど。
谷川俊太郎とかも教科書に載っていましたね。あの直球。「ふくらはぎ」とかすごいな、やばいなと思ってました。
そこから、思春期に入って山田かまちとか読むことになります。あの青く美しい、思春期の気持ち。当時だからこそ燃える心情。
僕が学生の頃はインターネットなど普及していなくて、図書館と本屋に通いつめるしかなくて、手探りで色々と読み漁っていました。
そして、絶望の詩人と呼ばれていた萩原朔太郎を読むことになるわけです。
当時「月に吠える」を読んで脳天ブチ抜かれた訳です。
萩原朔太郎は「青猫」とか「猫町」という絵本とか、どれも衝撃的でした。今読んでも、湧き上がるものがあります。
詩だけでなくて、歌、歌詞も読むようになり、
それからカートもディランも痺れさせてきますが。
やはり、心の底から何かを叫ぼうとしてる人たちに、震えるものです。
詩って、
言葉の美しさ、生と死と、愛。
暗喩、直喩。叙情。テンポ、韻、オノマトペ。
そのバランス。
その空間、風景と核心を簡潔に表現している。
時代背景もありますが、宗教、戦争、貧困、それぞれに通じる言葉、文字。それぞれから学ぶことがあります。とても多く。
その気持ちを表現するための言葉。
個人的な出来事ではなく、もっと壮大な、大きな意思や感情を含んだ言葉。
詩って、独特の表現方法で、他のカルチャーとあまり結びつかない。
例えば小説なら映画化とかもありますが、 詩は、映像作品の中に文字としてあったり、朗読もありますが、"詩"そのものの領域を出ていない。
それ自体が変化しない美しさ。普遍的な。
その中に、
心を揺さぶる想いを言葉にしたもの。
インプットしたものを、アウトプットする手段。
それをファッション、スタイリングという方法で表現表現するのも一つのアウトプット。
であるって考えます。
そして、その頃読んだ本で、
「自分で経験するまでは、何事もホンモノではない。皆んなが知っている“ことわざ”であっても同じ事だ。
知性を高めていく唯一の方法は、あらゆる事に関して、断定した考えを持たないこと。つまり、あらゆる思想に対して聞く耳を持つということである。/John Keats」
経験するまでは、それを否定しない。
ふむ、なるほど。たしかに。それだ!
ファッションなら、色んな洋服を、アクセサリーを、ヘアスタイルを身につけよう。偏見を持たずに着てみよう。
そこから、好き嫌い、得意苦手を判断すればいい。一旦、自分に取り込もう。
そして、
「精神によって創られたものは、物質よりも更に生きている。/Charles-Pierre Baudelaire」
服を着るということ、それ以上に、心でファッションをするということ。
ファッションアイコン、例えば映画や小説の登場人物が着ていた洋服や、ミュージシャンが着ていた洋服を真似して、着てもいい、きっかけはどうあれ、そこから、
心に響くもの、感情を揺さぶるもの、そこから作られる精神。
ただ、洋服を着るんじゃなくて、トキメク、心が躍る洋服を着よう!着方をしよう!
そして、そこから先へ進もう。誰の為でもなく、自分の為に。
詩人の名前とか出すから冗談も言えませんでしたが。
まぁ、こんな回も。
おやすみなさい。良い夢を見ましょう。
HREdayam.