こんばんは
HREdayamです。
ものごとには
ここまでの部分、ここからという分岐点。
というのがあります。
(またオオハラの、ものごと系の話が始まった!
って思わずに読んでいって下さい。)
こちら側とあちら側。
この柄は好きだけど、この柄は苦手。
2辛は好きだけど3辛は耐えられないみたいな。
その境い目。境界線。
ひとつずつの事象の境界線に気付くことが、とても大切なことだと思っています。
例えば、何か一枚の洋服に関して、
その洋服(或いはコーディネート)を考える際に、
"思考(意識)"と"肉体"に境界線を引き、
その二つの別のものをそれぞれで考える。
「着たい/着たくない」という"思考"の部分と、
「似合う/似合わない」の"肉体"の部分、
それぞれで。
極端な話、僕が消しゴムを着たい!と思っても、「物理的に無理」なのです。
でも、僕がスカートを穿きたい!と思った場合に、穿こうと思えば穿ける。
しかし、スカートにタイツでは僕の体型やその他を加味しても、バランスを取れり辛い。ならば、その下にデニムを穿こう、と考える。
といったように、
境界線に対して、正確に内側と外側にあるものを意識出来るようにしたいと思っています。
常に。24時間365日。いえ、23時間364日くらいは。
外側に分けたものと内側のものは別のものという認識(外側は"自分のものではない"という意味ではなく認識の話です。)で、そこで隔てられる。
そして、それらそれぞれをどのように捉えて、活かすか。
先ほどの洋服の例ですと、意識と肉体を別に考えてみた時、
「自分に何が似合うかわからない」場合に、
信頼できる販売員さんに聞いてみるという選択肢がある。
ひたすら色んな洋服を着てみる、もある。
一旦ポテサラを食べるもある(ない)。
それを考え、どう解消するか。
その可能性を楽しむ(ようにしています)!
例え難解だとしてもです。
境界線を正しく引く。
そして、
境界線を引いた際の内側にあるものを、外側のものと対比して、
出来るだけ自分のものにする。
例えば、「やれる/やれない」「やりたい/やりたくない」に線を引く。
(以前に書いた、対極の話に通じる部分もあるのですが ☞#53 )
それを理解する。
外側だから関係ない!ではなく、きちんと双方を見極める。
(外側に位置する)ある洋服が「肉体の形状的に、物理的に着れない」はあっても、
(内側の)「あれが着たいこれを着てみたい」という"衝動"を大切にしたい。
そして、
その中でその洋服どうやって着るかをひたすら考えたい。
考えましょう!
ところで、個人的には
境界線をギリギリ超えない辺りが好きです。
そのギリギリのラインに惹かれてしまって、その紙一重の本当にスレスレの所をカッコ良いとか面白いと思ってしまう癖があります。
もう少しであっち側!って崖っぷち。
でも、そこを楽しむには、やはり境界線の内側と外側、どちらも知らないといけない。
そうでなくては、ただの(バランスの悪い)派手好き人間になってしまいます。
そのギリギリを楽しむ故に、
見る人によっては、オオハラの着方大丈夫かな?って思われたり、
ジョークがジョークに聞こえなかったりしてしまう弊害は発生するのですが…。
それでも楽しく生きています!
カレーとポテサラは常に境界線の内側の手前の手前存在しています。
Hredayam,
Peace.